Subject: マルセ太郎さん
Date: Mon, 12 Feb 2001 23:25:15 +0900
マルセ太郎さんが逝ってしまった。
私の目標だったマルセさん。
死去の知らせの翌日、岡山の病院からご家族と共に戻ってくるマルセさんを
狛江の御自宅前で待った。マルセカンパニーの役者さん達と一緒に。
冷たい雨が降っていた。
ご家族から「家に入って待っているように」との指示だったが
鍵が無かった。
ピッキングの技術を持っている者もいなかった。
ようやく帰ってきたマルセさんは、舞台に立つ時と同じ顔をしていた。
だから死んだ事が実感できなかった。
マルセさんに可愛がられていた役者、永井寛考さんと、僕と、
そして葬儀屋さんとで、舞台衣装の作務衣を着せてあげた。
奥様の希望だった。
尊敬するマルセさんに、憧れの目で見ていたあの作務衣を着せてあげられる。
こんな光栄なことがあるだろうか。私の身体は感動で打ち震えた。
あの東京の中心の広大な土地に住む人から「ナントカ賞」を貰うより、
その数万倍もの栄光だった。
しかし、こんな型破りな心のこもった通夜も初めてだった。
故人の遺志が「無宗教で、内々だけで、線香臭いのはイヤ」だから。
奥様が「マルセが好きだった煙草でも吸ってあげて」と言うから、
皆手を合わせた後、煙草をプカ〜ッとふかすのだ。
一番困ったのは葬儀屋さんだ。
「祭壇はおいくら位のを?」
「いらない」
「あのう、お花は?」
「いらない、で見積もりは?」
「事務所に帰って相談してきます」と、帰っていった。
その頃には皆酒もまわり、賑やかに。
泣いては笑い、呑んで再び笑っては笑い。
宗教的儀式や演技で泣いたりする必要はないのだ。
「内々で」と言ってあるから、義理や宣伝の為に来る芸能人や芸能社や
マスコミもいない。それなのに断っても届く花々。駆けつける人々。
みんなマルセさんの芸を人間性を、尊敬し愛した人達だ。
集まった人達で奥様の作ったキムチをつまみながら酒を呑む。
みんな家族みたいだ。
儀式や序列も何もない。
肩書きを外した人間と人間が一人の芸人のもとに駆けつけたのだ。
娘さんの梨花ちゃんがマルセさんの枕元にあったアンケート用紙の束を見せてくれた。
最後までアンケートへの礼状を書いていたのだそうだ。
書いた人にはチェックがしてあった。
そして、真ん中くらいまでめくった所から、ぴたりとチェックが止まっていた。
マルセさんが死んだ。
|